家族葬・直接葬から一般葬まで幅広く従事してきた元葬儀社スタッフのつぶやき
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年も明け、寒さも世間の情勢も厳しい今日この頃、せめて気持ちを豊に奈良観光など
いかがでしょうか。
「気持ちを豊に」そんな場所があります、奈良といえば鹿と華厳宗大本山である東大寺の
大仏さんです。
東大寺の金堂(大仏殿)は、聖武天皇が天平十三年(741)に政治の不安を解決する為
国分寺創建の詔(みことのり)を発し、国ごとに仏像を造り、七重の塔を建て、仏法の力に
よって国を救おうと全国民に呼びかけました。
これに応えて、奈良時代の僧、行基も弟子たちをひきいて協力し。7年の年月を費やして
天平勝宝4年(752)に大仏が完成、つづいて大仏殿もできて「大仏開眼供養会」が
行われました。
開眼の導師にはインドの僧侶、波羅門僧正・菩提僊那(ぼだいせんな)が招かれ
中国や朝鮮をはじめ諸外国の珍しい音楽や舞踊などが披露され、当時の東アジアの中
では最大級の国際イベントであったそうです。
その後地震や戦火により焼失してしまいますが、元禄5年(1692年)雨ざらしとなって
いた大仏は修理されに開眼供養会が、続いて宝永6年(1709年)には、大仏殿の落成を
祝う「落慶供養」が行われたそうです。
その後、明治元年(1868年)に出された神仏分離令(神道を国の宗教とし、仏教と分離
する政策)により、南都の諸寺がいずれも衰えたため、大仏殿も世間から顧みられない
状況となりますが、困難をおして解体修理が行われ、さらに「昭和の大修理」を経て現在
に至っています。
この「昭和の大修理」が終わり、盛大な(落慶法要)が行われた際、大仏殿にて「さだまさし」
さんのコンサートがあり、当時中学生だった私も見に行きました。
この優雅で壮大な、大仏様を見ていると、荒んだ気持ちも大らかになりますよ。
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