家族葬・直接葬から一般葬まで幅広く従事してきた元葬儀社スタッフのつぶやき
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昨日の葬儀は、お陰様で無事終えることが出来ました。
小学生の息子さんは、終始元気で走り回り、悲しいそぶりを一切見せず
逆にお祖母さまが、理解出来てないのか疑問に思われるくらい、回りに
笑顔を振りまいていました。
小学校低学年とはいえ、母を失った悲しみの深さは計り知れません
今は現実を受け止め切れていないのでしょう
むしろこれからが本当の悲しみが来るであろうこと、悲観のプロセス
があること、叔父い様や叔母さまもまた、同じであることを、お伝えさせて
いただきました。
私の父が急逝したとき、私はまだ2歳でした、本来であれば物心もついて
いない、年齢ですので、親戚の叔父などは「何も覚えて無いやろ」と言います
でも私の一番古い記憶は父が柩に入っていて母が泣き崩れている姿です
小学生であればその悲しみの大きさは、私が父を亡くした時の比ではない
でしょう。
今回私が係れるのもここまでです、今日もお通夜式が入っていますので
気持ちを切り替えていきます。
愛する人を亡くした人の為の100の言葉
小学生の息子さんは、終始元気で走り回り、悲しいそぶりを一切見せず
逆にお祖母さまが、理解出来てないのか疑問に思われるくらい、回りに
笑顔を振りまいていました。
小学校低学年とはいえ、母を失った悲しみの深さは計り知れません
今は現実を受け止め切れていないのでしょう
むしろこれからが本当の悲しみが来るであろうこと、悲観のプロセス
があること、叔父い様や叔母さまもまた、同じであることを、お伝えさせて
いただきました。
私の父が急逝したとき、私はまだ2歳でした、本来であれば物心もついて
いない、年齢ですので、親戚の叔父などは「何も覚えて無いやろ」と言います
でも私の一番古い記憶は父が柩に入っていて母が泣き崩れている姿です
小学生であればその悲しみの大きさは、私が父を亡くした時の比ではない
でしょう。
今回私が係れるのもここまでです、今日もお通夜式が入っていますので
気持ちを切り替えていきます。
愛する人を亡くした人の為の100の言葉
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