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家族葬・直接葬から一般葬まで幅広く従事してきた元葬儀社スタッフのつぶやき
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先日、木津川市の馬場南遺跡の発掘で、奈良時代中期~後期の頃のものらしい未知の
寺院「神雄寺」の建造物跡などが見つかりました。

この寺院跡は、これまでに出土した土器などから「神雄寺」という名の寺があったとみられて
いますが、同名の寺の存在は当時の文献にも記録されていないません、構造や配置はこれ
まで全く類例がなく、天皇や大臣クラスの人物が利用したとみられます。

仏堂跡は、天神山南側の斜面で見つかり、柱跡や四天王像の破片、信仰対象を置く須弥壇
の周りに張り付けていた平瓦が出土しました。
仏堂は幅5メートル、奥行き4・5メートル。ひさしを南側に伸ばした入り母屋造り、堂内の柱は
通常よりも少なく、ほぼ側柱だけで立つ構造で、当時唐で流行していた国内では類例がない
建築方式を採用していたとみられ、堂内の大半を須弥壇が占める特異な構造。

堂内の四隅からは等身大とみられる四天王像の塑像片が多数出土し中央部には心柱か
仏像が立っていたとみられる穴がありました。
周囲からは奈良三彩の焼き物片が30点以上出土していて、心柱などを囲んでピラミッド状に
盛り土し、焼き物を組み立てて「須弥山」を築いたと推察されています。
また、仏堂南側の谷では、約100メートルにわたり川をせき止めた池跡が見つかりました。

これまでに周囲で8000枚以上の灯明皿が出土し、大規模な法要の燃灯(ねんとう)供養が
行われたとみられます。
三彩陶器や、「神雄寺」と書かれた土器、天皇や大臣クラスの存在を表す「大殿」と記された
墨書土器、万葉木簡も出土しています。

ただ、文献に記述がないことから、主催人物は「天皇とは考えにくい」と言う意見もあり
神雄寺の存在や大きな儀式自体が歴史書に記されていないのはなぜか

京都府相楽郡域は、かつては藤原氏のライバル、橘氏が勢力を誇り、橘諸兄(もろえ)の別邸
や寺院もありました、橘諸兄の長男、奈良麻呂は奈良時代中期、藤原仲麻呂へのクーデター
を企てたが失敗したと言う歴史もあり
奈良時代の一時期に権勢を誇り、その後「反逆者」として処刑されたり失脚した人物にゆかり
があり、あえて史実から“抹殺”されたとみる専門家もいるそうです

木津川市教委は「大規模な燃灯供養を行う特殊な装置としての神雄寺の存在は、学問中心
の平地寺院や修業を中心とした山岳寺院と異なる。
今までの古代寺院・仏教観を一変させる」といい、国の史跡指定を目指すそうです。

発掘現場は、17日午前10時から午後3時まで公開されています。
午前10時半、午後1時半、2時半に説明会があります。

謎だらけの遺跡は、歴史にあまり興味の無い私でも、興味をそそられます。


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葬祭業歴、10年弱、前職は橋梁メーカーで品質管理を担当、昔は地図に残る仕事、現在は心に残る仕事をめざしてます。
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